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国宝の「暦」に記された、晩年の安倍晴明公

寛弘2(1005)年、85歳で亡くなった安倍晴明公。平均寿命が30歳ぐらいだったという平安時代にあって、驚くべき長寿です。当時では考えられない寿命の長さに、周囲の人々からは畏敬の念を抱かれていたかもしれませんね。

 

そんな安倍晴明公は、80歳を過ぎても「一条天皇の法興院行幸の日時を勘申(調べて報告する)」(『御堂関白記』)、「藤原行成の宿所の物怪について占う」(『権記』)、「一条天皇のため反閇(陰陽道の呪術的な歩行法)奉仕」(『権記』)、「晴明の進言により、道長が造仏を延期」(『御堂関白記』)など、占いや陰陽道の儀式を行っていました。陰陽師として藤原道長や一条天皇から厚い信頼を集めていたことも明らか。長命で長く活動できたことも安倍晴明公の名が長く後世に伝わることになった理由のひとつなのでしょう。

 

このように、存命中の安倍晴明公の足取りを知る手がかりとなるのが、『御堂関白記』、『権記』など当時の貴族の日記です。そのひとつの『御堂関白記』は、平安時代中期に摂関政治で政権を握った藤原道長が書いたもの。国宝に指定されている貴重な資料ですが、実はこれ、陰陽寮(占いや天文、暦などを司った役所)で作られた「具注暦」に、藤原道長がその日の出来事などを書きこんだものなのです。「具注暦」は、日付や干支、二十四節気などが記され、吉凶を判断するのに使われていました。藤原道長をはじめ、当時の公家の日常が、暦と密接な関係にあったことがうかがえます。

 

さて、安倍晴明公の命日、9月26日には嵯峨御墓所にて「嵯峨墓所祭」が執り行われ、宮司による祝詞の奏上などが行われます。墓所があるのは、嵐山の賑わいから少し離れた嵯峨野の閑静な住宅街。かつては天龍寺の寺地だった場所で、室町時代に書かれた『応永釣命絵図』に「晴明之墓」と記されているところです。嵐山散策の折に、お参りに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

嵯峨墓所祭の様子

公開日:平成29年11月1日

注連飾りとは、新年に歳神様をお迎えするにあたり、邪気や魔が 入って来ないようにするいわば結界のようなものです。 注連飾りを丁重に神前にて祓い清め、祈祷を施します。数に限りがございますが、特設サイトにて11月1日より受付を開始。先着順にお分けいたします。

正月用注連飾りについて
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