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「子午線」も「正午」も十二支から

毎年6月10日は「時の記念日」です。

 

『日本書紀』には天智天皇10(671)年4月25日に天智天皇が漏刻(水時計)を建造して、時を知らせたとあります。その日が太陽暦の6月10日にあたることから、1920年に時の記念日と定められました。

 

この6月10日を中心に、兵庫県明石市では「時のウィーク」というイベントが開かれます。「時のまち」と言われる明石市は、地図を見ると、南北に東経135度のラインが通っていることがわかります。

 

北極点と南極点を結び、赤道と直角に交わる経線は「子午線」ともよばれます。その基点となる「本初子午線」は、1884年にイギリス・ロンドンのグリニッジ天文台を通過する子午線と決められました。これにより、ここを基点に東へ135度進んだところが日本の標準時の基準となったのです。東経135度の子午線上には、明石を含めて北は京丹後市から南は和歌山市まで12の市がありますが、明石がいち早く子午線の標識を立て、時のまちと知られるようになったようです。

 

さて、この「子午線」に十二支の「子」と「午」が使われていること、もうお気づきですか? 12までを数える数字として使われた十二支は、方角を表すことにも使われました。東西南北は、それぞれ子、卯、午、酉。南北を結ぶ線なので、「子午線」なんですね。

 

また十二支は、昔は時刻にも使われました。1日を12の時辰に分ける「十二時辰(じゅうにじしん)」です。十二時辰ではひとつの時辰は2時間で、2時間の始まりにあたる時刻を「初刻(しょこく)」、2時間の真ん中にあたる中間を「正刻(せいこく・しょうこく)」と呼びました。十二支のひとつめの「子」があてられたのは真夜中で、0時が「子の正刻」(子の初刻は1時間前の23時)でした。そのまま2時間刻みで順に進むと、昼は「午」となります。つまりその正刻は…?

 

もうおわかりでしょうか? 私たちが何気なく使っている「正午」は「午の正刻」から生まれた言葉なのです。そして「午」の前の時間なので「午前」、「午」の後なので「午後」。昔の暮らしの中で使われていた十二支、今でも思いがけないところに残っているものですね。

公開日:平成30年6月7日

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